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写真の師匠が教えてくれた、手っ取り早く人生を楽しむコツ

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<私には写真の師匠がいました。師匠は「リラックスこそが、手っ取り早く人生を楽しむコツかも」と、身をもって教えてくれた気がします。【撮影地】北海道・稚内

娘が生まれる一年前のその日、この世を去った写真の師匠

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私には「写真の師匠」と呼べる人がいます。


その人は北海道の最北端・稚内市に住んでいて、本職は洋服の修理屋さん。地元でアマチュア向け写真教室の先生をしていました。しかし腕前はプロ級で、雑誌や新聞などのフォトコンテストによく入選しては「賞金でレンズが買えた」と嬉しそうに報告してくれる人でした。地元の新聞社も社会欄のネタに困ると、師匠の写真を借りに来ていました。


その師匠は、上の写真を撮ったわずか3ヶ月後にガンのため急逝。そのちょうど一年後、師匠の命日に私の娘が生まれ、亡くなってもなお「命の不思議さ」を私に叩き込んでくれた人でした。

「発作的な楽しさ」だった私と、「脱力的な楽しさ」だった師匠の違い

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「発作的な楽しさ」と「脱力的な楽しさ」の図を考えていた時、師匠と夕日の写真を撮りに行った日のことを思い出しました。このページの一番上にある、メダカのような雲が写っている写真です。


この場所は、師匠の家から車で10分くらいのところにあります。(詳細はこちら) JR北海道の稚内駅から車で15分弱ですので、稚内へ行った際は是非行ってみてください。利尻島や礼文島がバッチリ見えてオススメです。


さて、その日、半年ぶりに稚内へ来た私は「非日常モード」ですから、写真を撮る気満々でした。一方「先週もここへ夕日を撮りに来た」と言っておられた師匠は「単なる日常モード」。さてここでクイズです。私と師匠と、どちらが多くシャッターを押したでしょうか?


答えは、圧倒的に師匠。私はせいぜい20枚。師匠は100枚を遙かに超えていました。いくら撮ってもタダのデジカメの時代じゃありませんよ。フィルム一本使うと最低2,000円はかかる時代の話です。(我々が使っていたのはポジフィルムという高いヤツでした) 写真の善し悪しは置いておくとして、この差は一体何なのだろうと、その当時からよく思っていました。

「発作的な楽しさ」の私は、いい写真が撮れないと楽しめなかった

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北海道・稚内

このカットは、別の日に同じ場所で撮ったカットです。


夕日というのは、水平線の上に雲が出ていないと、なかなか絵になりづらいのです。雲がないと、単なる絵はがきみたいな感じになってしまうからです。


あのメダカ雲の日は、雲の形が抜群に面白かったので、私は慎重に準備をしました。ちょうどそこに船がいい具合で入ったので、シャッターを押した後、私は思わずガッツポーズをしたのを覚えています。しかし逆に言えば、雲の形が面白くなかったり、撮影に失敗したりすると私は楽しめません。

「脱力的な楽しさ」の師匠は、いつも楽しそう。この違いは何?

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北海道(撮影地不明)

一方、写真の師匠は全てにおいて対照的でした。


なんで「日常モード」なのに、こんなにシャッターを押すの? いつもはスゴくこだわって写真を撮るのに、夕日を撮る時は水平線が曲がってもお構いなしなのはなぜ? なんで夕日の方をあまり見ないで「あ、山の雪が少し減った」などと言ってパシャリと一枚撮るの? そもそも、なんで夕日が見られない時でも、そんなに楽しそうなの…。


特に不思議だったのは、夕日を撮る時に限って水平線が曲がりまくること。師匠は「夕日を撮る時は水平線が右に上がる」という「持病」を持っていました。あともう一つ不思議だったのは、夕日が見られるかどうかに関係なく師匠が本当に楽しそうだったということです。

「脱力的な楽しさ」の師匠は、リラックスが出発点だった

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北海道(撮影地不明)


当時からずっとそのことが不思議で、写真の師匠が亡くなってからも不思議でした。でも「脱力的な楽しさ」のことを考えていたら、私は大事なことに気がつきました。


師匠が「夕日を撮る」ということは「仕事が終わった」という意味が含まれていたことを。


師匠は、洋服の修理屋さんを切り盛りしていましたから、夕日を撮りに行くのは店を閉めてからです。誰だって仕事が終わった直後というのは、リラックスしやすい時間帯ですよね。


一方で、私は「非日常モード」バリバリです。めちゃめちゃお金を掛けて稚内へ来ていますから、「元を取ろう」とばかりに気合いが入っています。まさに「発作的な楽しさ」です。


今までは「発作的な楽しさ」でも何ら問題はないと思っていました。日常と非日常、「ハレとケ」があるからこそ、人生にメリハリがつくのだと。しかし、バランスログを作り始めて「時間ごとの快不快」を入力するようになると、「発作的な楽しさ」って危ういなあと思うようになりました。

バランスログで見ると分かる、「発作的な楽しさ」の致命的な弱点

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あの夕日を撮りに行った日の私の状況を、バランスログで見てみましょう。と言っても、あの当時はバランスログなどあるはずもないので、推定です。バランスログの画面も使い回しです。すいません(笑)。


バランスログでは、一日の時間帯をいくつかに区切って、その時間を「かなり快」「やや快」「やや不快」「かなり不快」の4段階で判断します。ここでは「かなり快」の緑色が、一日全体の中でどのくらいの割合を占めるかを見てください。


私は夕日を目的に、師匠と撮影に行きます。ですからキレイな夕日が見られなければ「かなり快」は付きません。例えキレイな夕日が見られても、決定的瞬間を取り逃すなど撮影に失敗したら「かなり不快」になってしまいます。


「発作的な楽しさ」の場合、天気のような外部要素に大きく依存してしまいます。しかも当時の私の場合は、夕日を撮影することだけが目的でしたから、夕日が沈むまでの時間や、夕日が沈んで撮影を終えて帰途につく時間は「かなり快」にはなりません。


つまり「発作的な楽しさ」を追求すると、自由に使える時間のはずなのに、「かなり快」がつく時間帯が非常に少ない上に、自分以外の要素にも左右されてしまうのです。


一方、「脱力的な楽しさ」の師匠はどうでしょうか。もうお分かりでしょう。「かなり快」がつく可能性がとても高いのです。

「脱力的な楽しさ」なら、出来事に関係なく「快」が付く

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写真の師匠は、仕事が終わってから夕日を撮影に行くので、リラックスが出発点となります。例え仕事でイヤなことがあったとしても、「やや快」あたりからスタートでしょう。


いつもならそのまま自宅で夕食となり、特別なことがなければ「やや快」のまま就寝かもしれませんが、その日は東京から師匠を慕って若者(当時の私)がやって来たのです。私が尋ねてきたおかげで、夕日を見に行くことになりました。


そして実際に夕日を見に行くと、やはり気持ちがいい。「誰かが尋ねてくるのはありがたいこと」とでも思えば、「やや快」が「かなり快」に変わる可能性は充分にあります。


師匠はすでに「かなり快」に近いでしょうから充分にリラックスしており、夕日を待っている時間も楽しいはずです。いつも来ていますから、いろんな変化にも気がつくことでしょう。季節の変化、木々の変化、遠くに見える山に積もった雪の変化などなど。


師匠は「快不快」で言えば「快」を感じた瞬間に、シャッターを押すのでしょう。半ば無意識で撮っているから、水平線が傾いてもお構いなし。


これを繰り返すと、条件付けがなされると仮定できます。最初は「快」を感じたから、シャッターを押したでしょう。でもそのうち、シャッターを押すと「快」を感じることもあるはずです。そうなれば、シャッターを押せば押すほど「快」が増えます。だからフィルム代がいくらかかろうとお構いなしにシャッターを押す。あとで奥さんに怒られるのは明白なのに(笑)。


そんなこんなで撮影が終わって帰途につく時、師匠には「かなり快」の印象しか残りません。だから夕日が撮れたかどうかに関係なく、「いつも楽しそう」という雰囲気が宿る…。


みなさんは「発作的な楽しさ」の私と、「脱力的な楽しさ」の師匠、どちらが人生を楽しんでいると思いますか? 言うだけ野暮ですよね。

リラックスこそが、手っ取り早く人生を楽しむコツかも

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「発作的な楽しさ」と「脱力的な楽しさ」に気づく前の私は、この夕日の教訓から「楽しむためには変化に気づくことが重要」と思っていました。でもそれは完全な間違いでした。それでは「楽しむためには変化を探さなくちゃ」と「負の暗示」が入って、「発作的な楽しさ」につながってしまいます。


師匠は単に、撮影前に充分リラックスしていたから変化に気づいたのでしょう。


リラックスしていたからこそ、どんな天気でも撮影を楽しめたのではないのでしょうか。リラックスすれば、いつしか条件付けがなされて、いつもの作業をしているだけでも楽しくなれます。シャッターを切るだけでリラックス出来る、そしてその結果楽しくなるように。(希望的観測ですが)


毎日の中で「快」を増やして行くには、やはり基本はリラックスだと思うのです。そうは言ってもリラックスが出来ない場合は、どうすればいいか。リラックススペースを作ればいいと思うのです。


ちなみにこの写真は、師匠の仕事場でした。洋服の修理屋さんと言えば、普通はカウンター越しに店員がいて応対してくれますが、師匠のお店の場合は、作業場がそのままお店になっていました。


実に居心地のいいお店で、入口脇には深く腰掛けられる椅子が置いてありました。お客さんはお店にやってくると椅子に座り、作業をする師匠の脇でしばらく話をして帰っていきます。大抵は、師匠の奥さんがコーヒーを入れてくれます。


私のように写真好きがカメラを持って、洋服の修理以外の用事で、コーヒーを飲みにやってくる事も多々あります。その度に師匠は仕事の手を止め、この笑顔を見せてくれたのです。ほとんど喫茶店状態の不思議な仕事場でした。


仕事場がリラックススペースとなっていたから、この雰囲気を醸し出せたと言うのは言いすぎでしょうか。でも事実は「小説より奇なり」。写真の師匠も、このお店を出す前、つまりこのリラックススペースがなかった頃は、「発作的な楽しさの人」そのモノだったそうです。

リラックススペースがない頃、実は師匠も「発作的な楽しさ」の人だった!

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北海道・稚内

師匠は40歳くらいの頃、遊びを覚えて毎晩稚内の街へ飲みに行くようになったそうです。本当は40歳でこの店を出すはずでしたが、結局、この店を作るのは50歳になったそうです。「酒のせいで10年店を出すのが遅くなった。店一軒分飲んだ」と、自嘲気味に話しておられました。


その頃、師匠は写真とも出会っていませんでした。単なる「洋服修理屋の酒好きオヤジ」だったのです。まさに「発作的な楽しさ」の人、そのモノでした。


しかし、師匠は写真と出会いました。すぐに写真に魅せられ、それからは一滴も酒を飲まず、いつしか酒も飲めなくなったそうです。そうして10年後にこのお店を持つに至ります。このお店を出す時、店内のレイアウトには相当こだわったそうです。


つまり師匠も「発作的な楽しさ」→リラックススペース→「脱力的な楽しさ」でした。私も状態が悪かった時、この話を思い出して、リラックススペースを真剣に作ってみようと思ったのです。そうしたら意外に早く「今の本音」に気がつきました。

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